Nagiの海外妊娠日記

第一子妊娠ブログ

手術前日

水曜日の夜に出血があり
次の日の朝GPに行って産婦人科の紹介状書いてもらった。

いますぐ病院行ってと言われたので
紹介状持ってタクシーで向かう。

病院着いて紹介状見せたら
「14時15分にならないと予約空いてない」と言われる。

なんなんだよ...すぐ行けって言われたのに...
その時はまだ12時くらいだったので一旦家に戻ることに。

出血してる妊娠初期妊婦なのにこんなに動き回っていいんだろかと思うほど結構歩いたよ...余計血出るっつーの

出血は続いていたがこの時は腹痛はまだなかった。
だから流産とは考えたくなかった。
ポリープとかで出血してるのかと思ってた、、


家に戻って昨日の夜からバナナしか食べてなかったので
素麺を少し食べた。

食べて30分ほどして
再びタクシーで病院へ。イギリスの道って本当にボコボコしてて、タクシーとかバスとかめちゃくちゃ揺れるんだよね~
もうアトラクション並ですよ。


そんな中病院に着いてしばらく待機
予約してたって待つのよね。それはどこの病院も同じだと思うが。


待ってる間はもう緊張で手とか感覚変だった。
旦那は隣で何も言わず付き添ってくれてた。

そして順番が来て病室に
昨日の様子や出血の具合など色々問診されて

ついにエコーを確認する事に。
本当に直前まで私たちは赤ちゃんの事信じてた。

前日に救急病院の人に電話で言われた「8週目の検診で何も問題なく出血も少なくなってきているのなら多分大丈夫だろう」という言葉を信じてたのも大きかった。


そしてエコー。

相変わらず妊婦側にはエコー画面一切見えません。

旦那に「赤ちゃんいる?」と聞いてみら
「それっぽいのは見えるけど...」

何かこの言葉を聞いた時ダメかもと思った。
だって12週目ってもう大分人間らしい形になってると思うし
ちゃんと見えたなら「それっぽいの」なんて言わないよね...


しばらく先生は無言でエコー見てた
一応胎児のサイズ測ってる音はしたので
「いることはいたんだな」と思って少し安心した。

でも先生の顔は曇ってた。ずっとしかめっ面だった...
だから多分ダメだなとこの時ほぼ確信した。


「前回の8週目のエコーの時からほとんど成長していない」

もちろん英語だから全ては理解できなかったが
これだけは分かってしまった。

旦那が「前回の時は心拍確できたけど、それはもう聞けないの?」
と聞いてくれたが

先生は「聞こえない...」と。


私にも優しく「理解出来たかしら?」と聞いてくれた。

分からないこともあったけど赤ちゃんが死んでしまった事実は理解できたよ。


でもこの時は何というか本当に冷静だった。
多分受け入れられていないって事なのかな。
涙も出なかったし「そっか...」と思ってた。

旦那も多くは語らず「仕方ないよ、、」と言ってくれた。



そして先生から今度は悲しい現実の説明が続く

明日違う病院で2回目検診のエコーの予約入ってたから
その病院でもう1度エコー見てもらう?と聞かれたが

私は「No」と答えた。
悲しい現実をもう1度見るのは辛かったから。
エコーは直接見れなかったけど、パソコンにエコー画像があってその胎児の形がもう前回よりも人間らしくなくなってた。
死んでから長い間お腹にいたから溶け始めちゃったのかな...
その写真見てると本当に悲しかった。



自然に流産するのを待つか
薬を使って赤ちゃんを出すか
手術して出すか

3つ選択肢あったけど私は手術を選んだ。
子宮をキレイにしてもらいたかったし
お医者さんもそれが1番良い方法と言ってくれた。

次の日の朝7時に手術の予約とってくれた。


その後は手術の説明など聞いて
あと赤ちゃんを病院で火葬するか私たち自身で火葬するかの選択もできた。病院にお願いした。

その火葬に立ち会う事も選択できた。少し悩んだけど立ち会うことにした。

旦那がすべて通訳してくれたが
通訳するのも結構辛かったと思う。

先生の話を聞いてる間は泣くのは極力我慢したが
やはり自然に流れてくるもんだね。ティッシュもハンカチも持ってなく困ったよ。

最後に血液型を調べるために血液取って終わり。


私たちはあんまり会話することなくタクシーへ。
旦那は口数少ないが慰めてくれるのが分かったよ。



タクシーの中で明日の検診のキャンセルの電話を旦那がしてくれた
先生に直接ではなく通訳さんに連絡した。
明日も日本語の通訳してくれる予定だったので。

「流産になってしまった夫婦を私もたくさん見てきたけど、半年以内にはまた妊娠して戻ってきてくれる事がほとんど。1回は妊娠したんだから大丈夫だよ」と言ってくれた。

自分がまた妊娠できる保証はどこにもないけど
私は素直に嬉しかったです。

タクシーの中ではずっと泣いてた。涙止まらなかった。
家に着いてからもしばらく泣いたな...旦那の優しさが余計つらいよ。


でも明日の手術のために夜ご飯食べて早めに寝た。
夜中12時までは飲食オーケーだったよ。



実は夜22頃から生理痛のような痛みが少しあった。
これがだんだん強くなっていくのでした...